第一分科会「地域生活支援」
第一分科会 「地域生活支援」
意思決定への支援
高齢化・重度化への対応
地域生活支援拠点づくり
コーディネーター
広島県手をつなぐ育成会 会 長 副 島 宏 克
提案者
西宮市社会福祉協議会 常務理事 清 水 明 彦
社会福祉法人弘徳学園 統括施設長 重 利 政 志
進 行
全国育成会事業所協議会 運営委員 森 本 千 尋
進行役の森本千尋氏が、第一分科会の開会を告げ、参加者173名の大きな分科会となった。この分科会は、高齢化・重度化が進んでいる中で、本人や家族の 思いをどう受け止め、地域の中でどう支援を汲みあげることによって障害者が豊かに暮らせるようになるのか、根源的な課題ではないかと思っている。一昨年の 名古屋で開催された育成会全国大会では高齢化分科会に800名を超える参加者があった。それだけこれは大きな問題であると考えられる。
これから、登壇者の紹介を行い、提案者から提言または実践発表していただきたいと思うと述べ、登壇者を紹介し、コーディネーターに進行を委ねた。
副島コーディネーターから親亡き後、残された本人のために小規模入所施設という考えが示されて四年になるが、まだ具体的な姿が見えてきていない現状である。 そういう中で、今日は実践のところをしっかり発表してもらうつもりであると述べ、西宮市の清水さんから発表をお願いしたい。
主題「西宮市におけるたいへん障害の重い人たちの地域活動展開」 要項掲載資料
提案者 西宮市社会福祉協議会 常務理事 清 水 明 彦 氏
・障害の重い方の地域生活センターとして西宮市で40年間続けてきた。その状況報告をさせてもらい提案に替えたい。
・西宮は神戸の東側で人口48万人の住宅都市
・50年前には、重度心身障害児は未就学で在宅であった。親子で引きこもっている状態で20年間も暮らしている状況であった。
・当時、学生であった我々が出会い、同世代の重度心身障害者が在宅で親子共々過ごしてきたことはすごいことだと感じた。
・年齢は超過していたが、就学運動をしたり、外へ出ていく活動を一緒に取り組んできた。
・その間、親と子のつながりなどを見て感心することがあり、この活動から離れることができなくなってきて集いを継続。
・一方、本来であれば、重症心身障害者施設などで入所するのであろうが、現在の西宮で過ごすことの方が大切なことではないかと思い、市民にも呼びかけ、親 の会、地域、行政に働きかけて拠点づくりの活動を行い、1981(昭和56)年に西宮単独市費で重症心身の大人の拠点として「青葉園」が生まれた。
・その運営を西宮市社会福祉協議会が行った。
・この拠点である青葉園から地域に出かけてどのように生きていくか模索しながら活動してきた。
・これも本人一人一人が、それぞれ出かけて地域で生活するにはどのようにすれば良いのかを、30年前から個別総合計画としてまとめて実践していった。
・親が青葉園へ子供を託して亡くなってしまわれたということがあり、当時、居宅介護や重度訪問介護とかはなかったが、青葉園で二年間暮らされ、その後、西宮市で最重度障害者の地域自立システムの模索が始まった。
・本人の意向を組みながら支援するために、支援費制度が始まる前に、相談支援体制をつくった。その際に市内の相談支援ネットワークもできた。
・しかも、措置から契約制度の変わる中で、最重度で契約能力のない人のための権利擁護支援を社会福祉協議会が行い、基幹相談支援機関の役割も持った。
・個別支援計画のことを西宮市では本人中心支援計画と呼んでおり、これを西宮市として市内全域で計画づくりに取り組んでいる。
・こうした活動をする中で、もっと市民への啓発と協力を得るために拠点整備が必要と考えて、地域共生館を創設した。
・西宮市社会福祉協議会が障害のある当事者と市民がともに生活する社会を目指して活動している。
・したがって、1982年に青葉園では、福祉施設としてではなく、共生社会実現に向けての拠点施設であるという位置付けをされている。
・個人総合計画について、30年前から本人がどういう希望を向かって生きていこうとしているか、支援者と相互的に街に出かけて行き、気づきの積み重ねをしながらどのような支援すれば良いかを計画に盛り込んで行っている。
・計画相談については、相談支援のネットワーク(自立支援協議会)の中で本人を中心にして面談しながら意向を把握し行っている。
・すべての障害のある人への相談を継続して行う。利用を増やしていく。また当初は指定相談支援事業所と基幹相談支援事業所とが一緒に相談に当たる。もちろんその中に本人、支援学校などの関係者も加わることは当然である。
・事業所や家族へのアセスメントでは、「本人はどういうことをしたいか、誰としたいか」をそれぞれに尋ねて支援計画を作るようにしている。
・時間と手間暇がかかるのだが、こうした活動することにより、相談支援員自身の力が伸びてきている。
・改めて、申し上げると本人中心を主体として活動する中で、地域での役割を持った存在にする。そのためには障害のある本人のエンパワーメントにのみ注目す るのでなく支援者のエンパワーメントをも大事にし、それが地域住民のエンパーメントへと広がっていくようなものにしていく。それを通して共生社会の実現が 可能となるという考え方である。
副島コーディネーターから、西宮の清水さんの取り組みは、重度障害者を地域の中で支えていくことを社会福祉協議会で行ってきた。法人ではなく、社会福祉協議会を作り上げたという原動力が清水さんにはある。地域共生という視点も出された。
次に、重利さんに発表をお願いしたい。
主題「意思ケッティ支援は権利支援」
提案者 社会福祉法人弘徳学園 総括施設長 重 利 政 志 氏 要項掲載資料
・現在勤務している施設は75周年を迎える岡山市内では一番古いものである。
・私が勤め始めてから28年になる。その前、清水さんが活躍始めた頃、滋賀県におり、共同作業所運動、自立生活運動を一生懸命していた。
・その中で学んだことは、大きかったと今でも思っている。
・弘徳学園は、入所、通所、グループホーム、相談、居宅、児童とかいろいろと行っている。
・7月26日相模原事件があり、すでに本日のレジュメを書いていたが、急遽やりかえた。
・意思決定支援に絞った。
・意思決定を木っ端微塵にしたものが、相模原事件だ。
・我々が積み重ねてきたものをぶっ壊した。これを許すわけにはいかないと思う。
・このことについて、施設内で話し合ってみた。まだ、いろいろな情報が出てきていないので、難しいが、許してはいけないのは価値である。
・一番怖いのは、彼に同調している人たちである。
・うちの近く公民館の館長さんが小学校の低学年の子供が弘徳学園の側を通るのが怖いという。どうして怖いの尋ねると「じっと見る」といったとの事。
・これは、相模原に通じることだ。子供は素直なのだ。そこから先を館長さんが答えられずそのままになったと嘆いていた。
・我々は答えられなければならない。我々が小学校の低学年の子供と日頃付き合ってもいない。
・ちゃんと付き合っておれば、そのようなことは言わせない自信がある。
・ただ、その子が障害者と付き合いもなく大きくなったらどうなるのか、SNSなどあの人たちは役に立たないのだというのだろうか。
・そうしたことにならないためにも我々は障害者だけでなく地域ぐるみ町ぐるみの障害者差別撤廃の取り組みをしないと地域で暮らしていけないと思った。
・これは、本施設の利用者のつぶやきである。「あなたには介助してもらいたくない」と突きつけられた職員がいる。
・また、「あなたは、私の話を聞いてくれない」と言われた職員もいる。
・これは本人の自治会で出たものである。自治会と施設側との団体交渉もある。
・こうしたことが、これまでなかなかできなかった。また、本人たちもいうことを諦めていた。
・職員も面倒だから、本人は何も要求はないものと思い込んでいた。
・これを、差別解消法の合理的配慮で問われているのではないかと思っている。
・合理的配慮とは、意思の表明、対話、配慮ということであり、エレベーターや手すりをつけることは合理的配慮ではなく、対話をすること。
・一人一人の要求をきちん出してもらい、それらに我々がどのように対応し、配慮していくかが問われている。
・これは、我々だけでなく、住民にも自治体にも国にも問われているのだと思う。
・倉敷で関わっている人工呼吸器装用している4年と5年の二人の子供がいるのだが、普通の学校に通っている。入学以来親の付き添いを条件としている。これはおかしいと思うだろうが、これが現実なのである。一つは看護師が不足しているため。
・人工呼吸器装着児童について、医療と福祉など関係者の連携して対応するようにと厚労省の講演の中でも説明があった。
・連携してしようとしても看護師が集まらないという現実があるが、本年4月から差別解消法が施行されてから、行政側も対話しようと軟化してきた。
・行政側が一人一人の思いや意見を聞こうとしてきたことは、この法律の効果だと思っている。
・「これからも家族と一緒に暮らしたい」という訴えがあり、居宅やショートも活用するようになり、親も安心し、本人もショートへも喜んで利用できるように なったが、親の高齢化により入所させたいとの希望も訴えるようになった。しかし、本人は家族とともに死ぬまで暮らしたいと思っている。
・いずれは本人のみになる。それへの対応も考えていく必要があると思っている。
・「もう一度信じて見るは」というのは、利用者と職員との合同研修で職員側がこれまで虐待してことに気づき謝ったことに対して発言した言葉である。
・我々が言ってほしくないと思うことは言わないし、してほしくないものは我慢しているように、我々に対して忖度しこちらが支援されていることがある。
・本人のためになれば制度があるなしに関係なく、本人ために頑張らなければならないと思っている。
・次の意思決定を邪魔するものとして誰かといえば、施設の職員である。
・本人の支援計画を立てる上で、そうした考えでは通らないことを実感しており、できるようにするよう合理的配慮を積み重ねて実現できるようにと考え、差別に当たるか、限界を超えるものかを対話することにより、改善を図っていくことが大切である。
・「保護者の疲れ切った顔」「施設職員の世紀の欠けた瞳」。これは相模原事件の被疑者の言葉だが、こういう言葉を言って独りよがりに見抜いたつもり、わかったつもりになっているのではないか。
・不幸を作るための障害者ということは、決して許せない。しかし、我々自身もこの考えが掠めることもあるだろう。戒める必要がある。
・「ひゅうまん」自治会の活動をこれまでベテランの職員にさせていたところ、全く不活発であったが、2年目の職員に担当させると重い口を開くようになる。本人の思うように自治会をさせ、職員はその話し合いの議事録をまとめることに集中するようにしたことで変わってきた。
・本人の考えや思いを若い職員がよく聞き取ってくれている。
・第三者評価をしているが、本人自治会でもその内容について協議してもらうと職員側とは違った意見が出てきた。
・人権を我々が守ると言っているが、本人が意見表明できるようになると本人自身が自分たちの人権を守るようになる。だから、自分から声をあげる、上げさせるようにする。
・相談支援専門員もソーシャルワーカーであるから、もっと戦える支援者でなくてはならないと思う。
副島コーディネーターから、地域生活支援を意思決定ということからの発表であった。
その後、西宮の清水さんから、地域共生館の取り組みについて、スライドでの説明があった。
副島コーディネーターが作成し配布された「地域生活支援」について、説明があった。 当日配布資料
・意思決定支援というものは、この資料にもあるように方策が出ている。それをどう地域の中で取り組んでいくか、参考にしてもらいたい。
・重度の方は意思表明ができないと、これまで思っていたが、これは違うのだということを示している。
・そして、意思決定ガイドラインというものができている。3枚ものの資料の1になる。
・次ページでは、意思決定支援で考えられることとして三項目を上げている。
・問われるのは、意思決定支援者の支援能力である。本人の意思決定支援能力をつける支援者の力不足が問われているのではないかと指摘されている。
・それから、このような意思決定支援や意思表明支援を、差別解消法施行された中で、合理的配慮としてどのように対処していくを考えなくてはならない。
・次に、高齢化・重度化への対応である。そのためには次の5点が大事であると指摘している。
・それは、相談、体験の機械と場、緊急時の受け入れ・対応、専門性(この中に医療が入る)、地域の体制づくりの五つの機能の強化が求められている。
・それから、介護保険との関係が議論される。
・65歳になると介護保険が優先されるということが総合支援法第7条で規定されているが、これは介護保険利用者が総合支援法への適用を求めてくることを禁止するための規定である。
・長い間、障害福祉サービスを利用されている方が、介護保険に移行することには不安もある。従ってこれまでの障害福祉サービスを引き続いて利用できるものとされている。
・地域生活支援拠点づくりについても3点指摘されている。
・障害者や障害児入所施設や病院からの地域移行を進めるとともに、障害者の重度化・高齢化や「親亡き後」を見据え、障害児者の生活を地域全体で支える構築が急務となつている。
・地域の障害福祉計画により整備が進められているが、それの有機的な結びつきが十分でないこと、重症心身障害、強度行動障害などの支援が難しい 障害児者への対応が十分でないこと、緊急時の相談、必要に応じての対応が図られる体制の整備が必要であること、こうしたことに対して支援施設、グループ ホームや必要な機能を持つ主体の連携により支援体制を整備するため地域生活支援拠点及び面的な体制整備が必要と言われている。
・こうした単体としての機能を持つものは地域にあるので、それを有機的に結びつけて動ける体制づくりが必要なのだということで、モデル事業を進めてきている。
・このモデル事業は、それぞれの地域でいろいろな機能を持つ事業者や法人が連携してどう体制づくりをしていくかというものである。
・これを参考にしてもらいながら、お二人の発表について質問をお受けしたい。
質 疑
Q1富山県
・B型事業所を運営している。清水さんにお聞きしたい。西宮では社会福祉協議会がしていることにびっくりした。最近、地域貢献を行っている。地域の団体と 小中学生、総勢60人で公園の清掃をしている。その姿を親御さんに見てもらっている。そのお礼にクリスマス会などに関係者を招待している。地域生活支援と してこれからどうのように進めて良いのか、ご助言いただきたい。
A1 清水さんから
・社会福祉協議会というのは、いろいろと役割があり、地域によって大きく異なると思う。私は30数年前に最重度の障害者支援というものを社会福祉協議会の 事業に取り込んでいただいたのだが、社会福祉協議会というのは、斯様に可塑的なものであるし、基本は住民の主体的な活動を支援していくことであるから、関係 を持って活用していけば良いと思う。就労B型事業として啓蒙し、社会化していくことが大切ではないか。
Q2鹿児島県の絆学園
・素晴らしい発表を聞いて感動した。本人の意思決定支援がきちんとできれば良いと思うが、この支援者が、心から実感して分かり合えるという支援者を育てる にはどうしたら良いのかをお二人からヒントをいただきたい。もう一つは副島さんには、育成会の事業所協議会としてこのような地域支援の考え方が地域に浸透 させるのは育成会としてどう活動されていくのか、教えて欲しい。
A2
・重利 : これまで、施設の職員は聞けてなかったと思う。新しい職員が来たら、何も教えないで欲しいと先輩職員に言っている。この仕事になぜ着いたのかというのが原 点であるが、その初心がなんども壊れていくのを見てきた。現場の職員は早く一人前になってもらいたいがためにいろんな属性を伝えようとする。この仕事につ いた気持ちは、障害者とのふれあいだと思う。私自身、それが強かった。若い職員にいろいろと情報が入ると純粋な気持ちが薄らいて行っているのを度々見た。 障害者と純粋に関わり興味をもち、好きになって欲しい。そのふれあいで困ることがあれば、先輩職員がアドバイスしてやれば良いと思っている。施設としての 理念を施設長として持つべきではないかと思っている。
・清水 : 実は私どももそうした職員の養成には苦労している。本人中心支援計画づくりという作業の中で本人中心支援者が育成されてくると思っている。
地域共生館で本人が三ヶ月いる中で、ご本人の社会性を高めるのではなく、周りの人たちの社会性を高めること。その人様の支援の輪を作っていくとか、地域全体を本人の力を借りて変えていくことなどにより育成していくことになると思っている。
・副島 : 私の方に振られた件だが、私は事業所協議会のメンバーではない。この協議会を作った時の全日本育成会の理事長であった。私がこの高齢者の問題に引っ張られ のは、平成13年に親離れ子離れするために5階建の親子で利用できるグループホームを作った。すると全国から利用したいと言ってこられた。今はそれが下火 になった。親亡き後が親にとって最後の砦である。それを受けるのが事業所協議会であるので、その役員に振ることにする。
・森本 : 先ぼとの発言は、こうした問題をもっともっと全国各地の育成会で議論されればという思いであろうと思う。実は、小規模作業所は育成会が全国に作っていかれ た。それを作っていった思いは、義務教育が終わった時の行き場づくりに作っていった。その作業所が事業所に名前を変えて活動している。従って、育成会と 事業所協議会は車の両輪として本人や親の思いを汲み取って全国で活動していかねばと思っている。今日の発表でお二人が言われたのは、制度にあろうがなかろ うがしなくてはならないことはやらなければならないということであった。これは育成会の根底にあるものだと思っている。制度のない中で、作業所を作り、そ れが制度を作ってきた。そのエネルギーや思いをもっともっと展開していけば先は明るいと思っている。
Q3福山鐘のなる丘
・学校の後行き場がないので作業所を作ってきたものである。今、ショートステイを受けてもらえる事業所がない。高齢化、重度化に対する方向性について教えて欲しい。
A3
・森本: うちの方で、高齢化へ向けてグループホームを作った。1階から3階、3部屋ずつ。重度の方を対象に24時間全介助できるものを作った。夜勤を2名配置し、 近くに訪問診療を入れてもらい、医療連携を図り、日中活動には送迎をかける。それと親がなくなっているケースが増えてきているので、帰省するところがない ため、そのようになった。それもグループホームという制度でやれるとは思っていなかった。既存のグループホームで暮らすことができないという人がいたの で、作った。この経営がどういう状況かということは想像できると思う。制度が後からついてくると信じている。2年経っても5年経っても制度がついてこない ので見誤ったかと思っている。一人でも二人でも困っているとか、ショートステイがない、制度がないとかあるだろうが、制度を超えてどう面倒を見ていくか を、地元で作っていく。そうして地域に働きかける。社会福祉協議会も協力してもらえると思う。
・副島 : 平成24年から広島でキラッと光るという研究会を5年実施してきた。その中で、県の障害福祉計画の中に拠点を23作ると示された。ところが市町村の事業所 が手をあげなかったら進まないのである。広島県では4~5が申請しようとする動きが出てきている。組織を作り、エリアの中でみんなでやろうというもの。先 進地のモデルを探し参考にして作っていかねばならない。それを進めていくのは県である。広島県の出ているものは最重度のグループホームである。それには ショートステイもついている。皆さん方がそれぞれの地域でどうするのか、行政と地域の関係者とみなさんがしっかり協議していくことが必要なのである。
お二人の発表者と副島さんに温かい拍手をお願いしたい。以上で持って分科会を終了したい。