平成28年度第37回手をつなぐ育成会岡山県大会

第37回(平成28年度)手をつなぐ育成会岡山県大会

平成28年11月27日(日)の午前10時30分から午後15時過ぎまで、第37回手をつなぐ育成会岡山県大会が開催され た。当日は、朝からの雨模様ではあったが、昨年の岡山マラソンと同時開催ということでの交通規制もなく、無事に 開催することができた。
昨年と同様に、一般大会と本人大会とに二分して、一般大会は岡山県総合福祉会館にて約350人、本人大会は岡山県天神山ブラザにおいて約190人、合計約550人の参加により開催。
また、大会の企画運営の全てを県育成会理事が担って行われた。県各地から係員は午前8時30分に集合し、大会会場、分科会会場の設営と運営、交通案内、受付、弁当配布、記録など、まずまず円滑に実施することができた。

本人大会へ

一般大会では、午前10時30分の定刻に、まず相模原殺傷事件犠牲者への黙祷を献げ、次に「手をつなぐ母の歌」を参会者全員で斉唱し、渡邊、田中理事の司会により開会。
一般社団法人岡山県手をつなぐ育成会日下功会長から、県下各地から参加者と来賓各位への謝意と、はじめに相模原市の知的障害者施設での未曾有な事件で亡く なられた方々のご冥福と負傷させた皆さんの回復を心より祈念することを述べ、それから総合支援法施行後3年見直しにの中で、地域生活支援拠点の整備につい て触れ、障害者が地域で安心して一人暮らしができるようにすることと、重度障害者がグループホームでの生活を可能とする対応整備が進められるということ で、これらの実現、そして、4月から施行された差別解消法に伴い、地域協議会の各市町村へ設置され、機能強化されることの運動を進めなければならない。そ のためにも本日のこの県大会において、それぞれの課題を会員のみなさんと協議し、手を携えて明日からの活動に備えていきたいと力強く呼びかけられ、各分科 会において熱心な協議が行われることを期待するなどの大会挨拶が 述べられた。

続いて、長年育成会活動に多大な貢献があった保護者、協力者、相談員、学校職員、施設職員31人の皆さんを代表して津山みのり学園家族会の中上 実氏へ県育成会会長から賞状と記念品の授与が行われた。

来賓挨拶として、岡山県副知事宮地俊明氏、岡山県議会議長井本乾一郎氏、岡山市副市長繁定昭男氏から祝辞を賜り、このほか登壇いただいている来賓である全 国手をつなぐ育成会連合会久保厚子会長、岡山県障害福祉課課長竹田人士氏、岡山県人権擁護委員連合会事務局長田村雅計氏、岡山県身体障害者福祉連合会会長 藤田 勉氏、岡山県精神障害者家族会連合会理事長鵜川克己氏、岡山県特別支援学校長会副会長藤澤達郎氏、岡山県特別支援教育研究会会長佐々木康二氏を紹介 した。また、岡山県社会福祉協議会からの祝電メッセージを朗読し、披露した。開会式の最後に、受賞者代表として、津山みのり学園家族会の中上 実氏から謝 辞が述べられ、終了した。
 続いて、壇上の整理が行われ、全国手をつなぐ育成会連合会の久保会長からの記念講演が行われた。

演題「共に生きる」~相模原事件を受けて考える~   レジュメ  配布資料
講師 全国手をつなぐ育成会連合会 会長 久 保 厚 子 氏
1 相模原事件の概要と課題について
・今日、岡山県の県大会でお話しさせていただくのは「共に生きる」ということである。
・相模原事件を通して私たちはどうしていけば良いのかをみなさんと共に考えていきたいと思っている。
・「共生社会」というのを辞書で引くと「これまで十分に社会参加できなかった障害者などが積極的に参加、貢献することでできる社会のことをいう」と書いてある。
・「誰もが相互に人格と個性を尊重し支え合える人々の多様なあり方お互いに認め合う全員参加の社会を言う」というように書かれてある。
・こういう意味で私たちは活動してきていると思う。
・しかし、あってはならない相模原事件が起こった。
・私は朝、最初にこのニュースを見たとき、これまで、テレビなどで外国で起きている殺傷事件を見ていたが、障害者の施設で殺傷事件が起きたことで、何がどうなったのか、日本で起きた事件なのかと、すぐに受け入れならないという、そのような思いを持った。
・その後、いろいろと情報が伝わってきた。
・津久井やまゆり園に7月26日の午前2時頃、容疑者が忍び込み職員4人を縛り上げ、鍵を奪って利用者45人を刺して、男性9人女性10人が亡くなって、男女合わせて20人が重傷、7人が軽傷ということであった。
・こんなにたくさんの人を殺傷し、午前3時頃には「私がやりました」と出頭している。たった1時間足らずで45人も手にかけている。
・本来このように19人も殺すことは難しい。それを喉の動脈を切っていったからである。
・出頭したとき、三本の刃物の入ったカバンを持っていた。現場に二本落ちたいたので、五本の刃物を持って入っていた。
・この容疑者は元職員であるから、施設の構造をよく知っていた。また、職員の動きも熟知していた。重度の障害者にターゲットを絞って入っているわけである。
・これで一番怖いと思うのは、施設を運営されている方、施設に関係する親も、こんなに中身をよくわかっていて、ターゲットを絞って狙いを定めてこられると、どこまで守れるのであろうかという気がする。
・どこの事業所も地域に開かれたものしようと努力している。それなのにターゲットを絞って入るということをやれると、どこまで、安全安心が保たれるだろうかという不安が私たちに出てくる。
・その容疑者はどんな人であったかというと、容疑者の自宅は、やまゆり園から歩いて10分くらいのところ。住宅が点在している一戸建て。近所の評判も明るくて礼儀正しい青年であるとの声もあった。
・一方では、大麻を吸って、刺青を入れおり、友人によるとキレやすいタイプであったとのこと。今年の4月の14日に衆議院議長の公邸を訪れて手紙を渡そうとする。二回行って受け取ってもらった。
・その中身が、A4数枚に手書きで、「保護者の疲れ切った表情」「職員の生気の欠けた瞳」そして「障害者は不幸を作ることしかできないもの」とかいろいろと書かれていた。
・「私は重複障害者を家族の了解を得て安楽死させることだ」と書かれていた。
・やまゆり園ではこの他に施設があり、両方で470人が利用している。そこで、容疑者は470人を抹消することができると言っている。
・これらをみると本当に強い差別感と偏見の持ち主であることを感じる。
・「障害者は不幸を作ることしかできない」、そのようなことは私はないと思う。
・私には重度の障害のある子はいる、言葉はない、排泄も知らされない、お風呂も着替えも全部手助けがいる息子である。
・確かに育てていく中で、らくらく育ててきたことはない。普通の健常児を育てる中でも苦労することはあるである。そこにプラス、障害があることはもう少し苦労が多いということは確かにある。
・この子が私を不幸にする子だとは、私は考えたことはない。息子がいるから、息子を中心に家族が明るく力強く生きていこうとみんなで過ごしている。
・みなさんのところでも、障害のある方を中心にして過ごしておられると思う。その子がいるからいっぱい楽しいこともあると思っておられると思う。
・確かに疲れ切った表情をすることはあるが、障害のある子がいなくなって良いと思うことはない。
・障害のある子供がいるからこそ、みなさんと知り合うことかでき、親自身が成長させていただいていると思っている。
・この容疑者の手記を読んでみて、障害のある人を理解していないし、強い差別感と偏見を持って施設で働いていたのだと思う。
・こういう予告めいたことを手紙に書いて渡しているのであるから、もう少し防ぎようはなかったのであろうかと思う。
・それと、施設職員として、臨時雇用され、正規の職員になっているので、その施設の中でもどういう職員であるのかということがわからなかったのかとも思う。
・2月18日の職員へ「重度障害者は殺す」と言ったのを聞いた職員が施設長に報告、そして警察に連絡した。
・大変間違った考えだと指摘したが、本人は間違っていないと強く主張したので、施設側ではこのまま勤めもらうわけにはいかないということで、本人が退職願を提出した。
・19日に、警察署員が連絡したときには、「重度障害者の大量殺人は日本国の指示があればいつでも実行する」という障害者の存在を否定する発言をしているので、おかしいということから医療機関で診断をしてもらうと「そう病」ということで措置入院。
・22日に措置入院させる大麻の反応があり、そのための妄想や妄言ということになった。3月2日大麻の影響がなくなり、退院。
・ところが退院後友人に語ったことによるとおとなしくしていて早く退院できたとのこと。
・退院後の地域での支援もなかった。どこかの機関が措置入院していた彼をその後もずっと支えていくこともあっても良かったのではないかと思う。
・彼が措置入院していたことから精神障害ではないかと言われていたが、現在、国で行われている検討委員会の中では精神障害とは言い切れないと言われている。
・精神障害でなければ、ここまでに彼をさせたのは何だったのか。
・ある障害に認定するとすべてそのような障害の人が危険な犯罪を犯すのではないかと誤って認識されてしまう恐れがあるので、あえて特定な障害とはしないようにしようということで検討委員会では進められている。
・あの事件の午前2時38分頃には施設から警察に通報されていたが、ところが2時50分には容疑者はツゥイッターで「世界が平和になりますように」と言ってスーツを着た自分の写真と一緒に投稿していた。そして、3時過ぎに警察へ出頭していた。
・みなさん見られたと思うのだが、車の中での容疑者の表情は、爽やかな顔をしている。彼は自分自身はみんなのために正しいことをしたと思っているのかもしれない。
・衆議院議長へ提出した手紙の中にも逮捕されるだろうと書いてあった。逮捕されるだろうが、何らかの障害というネーミングがされて2年後には釈放されて、新たなの名前に変えてちゃんと生きていけるというシュミレーションが書かれてあった。とんでもないことだと思う。
・取り調べの中では「突然のお別れになってしまい、遺族に心からお詫びをしたい」と遺族に対しては詫びでいる。
・議長への手紙にも書いてあるが、遺族への同意を得ずに殺しているので、それを詫びているのである。
・しかし、手をかけている本人に対しての謝罪という思いは全くない。それが特異な事件であろうと私は思う。
・そして、このニュースが出たときに、障害のあるご本人やご家族からたくさんの不安の声が寄せられた。
・本人からは「怖い」「家から出られない」「周りの目が怖い」。たくさんニュースが流れ、新聞にも書かれる。そうすると障害のある人にとって、犯人の言っ た「障害のある人は社会にはいらないのだ」という言葉が社会一般の人の全部が言っているのだと思い、外へ出られなくなるのである。
・家で、本人が「お母さん、僕殺されるの」と母親に訴えるという声も何人から聞いている。
・毎日、事業所に通っていて、周りの支援者を信用して良いのだろうかという不安の声も聞こえてきた。
・親のみなさんから、私たちは社会から少し遠慮して生活している。それなのにこんな事件が起きて、これからどう生活していけば良いのだろうか、全く分からなくなってきたとの声もある。
・我が子の存在が否定されて、とても悲しいという、メール、電話、ファックス、お手紙と300を超える声が届いた。
・そこで、私たちの方で「障害のあるみなさんへ」というメッセージを出した。この中で、障害のあるなしでなく、一人一人かけがえのない命である。それが誰 かに有無を言わせず、奪われるものではないということと、そして、この事件があったからといって、毎日の暮らしを変える必要ない、今まで通り、外に出て、 仕事に行き、事業所に通い、今まで通りの生活を続けましょうと呼びかけた。
・そして、不安があれば、周りの家族や支援者に話そう、周りの人はちゃんと聞いてくれるよと呼びかけ、最後に私たち家族はみなさんのことは全力で守る。だから安心して堂々と生きてくださいとメッセージを出されていただいた。
・このメッセージを出した後に、八割から八割五分の方がこのようなメッセージを出していただいてありがとうという声が寄せられた。「救われた」「何度も読み返し涙が止まらなかった」と。
・一般の方からは「長年かけて障害のある人たちの尊厳を守る活動されてきたから、発することのできる力強さと優しさを感じ、頑張ってください」という励ましの言葉もいただいた。
・その一方で、犯人と同じような考えのメールとかお手紙や電話があった。
・私も1時間以上、一人の人と話したことがある。もう平行線であるから、全く話にならない状態だが、「あなたたちの子供は社会に役立っていないよ」「だから役に立たないものに税金を使うな」という。
・そして、私がテレビや新聞に出させてもらったことからかもしれないが、「偉そうなことを言うんじゃない」「迷惑しているよ」とも言われた。
・「自分は誰かよくわかっていない人は必要ないんだ」「重度障害者の人は見るのも嫌なんだ」「障害者は邪魔なだけだ、死ね」と直接聞いた。
・ネット上でも同様な声が数多く飛び通っている。
・差別意識の強い特異な事件ではあるが、このことで私は再確認したことがある。
・それは、多くの国民のみなさんの心の奥底に「障害者は、別の存在だ」と思っておられる方がたくさんいるということを再確認した。
・こういう人はいないと思ったことはないが、こんなにも多いのかと思った。
・育成会は本人の教育そして人権と幸せをと言って65年の活動を続けてきている。65年経ってまだこんな状態だと思った。
・そのことは、人の心の奥底に残っているので、グループホームを作ろうとすると反対の声が上がる。障害のある人のグループホームを作るのは賛成だが、うちの隣には来ないでほしいという。
・ということは、社会の中で障害のある人の行き場が必要であることは理解してもらっているが、ちょっと変わっている人は「怖い」という意識があるのかもしれない。
・隣に来るのは困るというのは、根っこは同じなのではないか。根っこには障害のある人は別の存在であるのだという意識があるからこそ、こういう反対運動が出てくるのではないかと思う。
・この事件はどのような背景があろうと決して許されるものではない。障害者を人として見ていないと思っている。
・障害があってもうちの息子は、「久保じゅうすけ」と言う。「久保じゅうすけ」という名前の人であり、障害者である前に一人の人権を持つ人間なのである。
・そういう風に見てもらえてないことが、親として悲しいことなのである。
・障害があっても与えられた環境の中で、精一杯前向きに生きている。障害の種別や軽重はあるが、それぞれの環境の中で前向きに働いたり活動したり一生懸命生きていることをみなさんにわかってもらいたいと思う。
・そして、障害が重くても誰もが生きていく価値がある。誰かにいなくて良いといわれる必要はない。みんな生きていくことの価値があるという風に思っている。
・それから、もう一つは犠牲者が匿名になっていること。
・警察から名前を公表するかしないかと聞かれると、いろいろと押しかけられると思い、匿名にしてほしいというのは当然のことと思う。
・マスコミが被害者の家族に今のお気持ちはとマイクを持つて押しかけてくる。その画面を見るたびに悲しいことに決まっているじゃあないかと思う。辛いに決まっているのになぜそのようなことを聞くのかと思う。
・遺族としては、悲しみに耐えているのでそっとしてほしいと願うのが当たり前であろう。
・警察がなぜそのようなことを尋ねたのか、これまでは、どのような事件であれ、被害者の名前が公表されていた。この事件では匿名となった。善意でされたのであろうとは思う。
・しかし、ちょっと視点を変えてみると、障害者は可哀想な人であるからとか、入所施設を利用しているということは社会的に嬉しいことではない、見方によっては偏見があったからではないかとも思う。
・これは私たち親として若い頃から、障害児がいるのだということをいうことには勇気がいった。それと同じようにこのような事件で名前を公表することには勇気がいることだ。
・だが、私たちは、障害があっても障害のない人と同じように扱ってほしいのだと言っている。そうであれば、障害のあるなしにかかわらずこういう事件があれば名前の公表は出す勇気を持つべきではないかと思う。
・結果的に迷惑を被ることがあるかもしれないが、障害のない人と同じように我々家族が乗り越えていかねばならないことと思う。
・警察はとっても善意であったと思う。よくよく考えた末に匿名にされたのだと思う。これに対して一部の障害者団体がすごく反対している。
・育成会としては、大きく取り上げてキャンペーンを張ることはないが、我々も乗り越えなければならない、そして善意であれ、見方を変えれば少し偏見があるのではないかと問うていく姿勢が必要ではないかとも思っている。
・それから、障害者入所施設は、周囲の市民からみるとどのような人たちがどのような暮らしをしているのかというのが分かりにくい存在なのである。
・それが安全安心に重きをおいて塀を高くして門扉に鍵を掛けたりということをすると、さらにクローズドな存在になる。施設内の人がその地域にいないような存在になってしまうという風に思う。
・入所施設を利用している親も、本人がその地域の住人として認めてほしいと思っている。地域のお祭りや運動会に参加したり、地域の人が遊びにきてくれたりといったふれあいのある暮らしをしてほしいと願っている。
・ところが、塀を高くし、門扉に鍵を掛けたりすると、地域との交流が少なくなり、今でも施設内でどう暮らしているのか分からない存在であるのに、さらに全くわからないような存在になってしまう。
・親としては、地域にいないような存在にしてはいけないと思っている。地域と交流することで地域のみなさんに関心を持ってもらい、セキュリティの一役にもなってもらえるのであるから。
・実は、私は大津市で入所施設の理事長をしている。この事件の一週間前にうちの施設の中を窓から覗いていたという。職員も気づかなかった。近所の人が通ら れてこの人はこの近所の人ではないが、なぜ窓から覗いているのかなと思い、声を掛けてくださったのである。そうすると、その人は何も言わず行ってしまわれ た。隣には老人施設があり、その隣には障害者の通所施設がある。この二つの施設にもこのようなことがありましたよと連絡してくださった。
・このような施設ができたことに賛同してくださった人は、よく見ていただいている。しかし、反対だと思っている人は、何をやっているのだろうと思って見ておられる。
・だから、賛成の人も反対の人もよく見ておられる。それもセキュリティの一つになるのではないのかと思っている。
・今後も、事業所は地域に開かれたものとして活動してもらいたいと思っている。
・心ない言葉がいっぱい寄せられた。正論で返しても平行線でダメだということがわかったので、言葉で返すよりもと思い、「手をつなぐ」の9月号でみんなの 笑顔をいっぱい載せたいと思い、短い時間ではあったが募集すると300を超える方がメッセージとともに写真を送っていただいた。そのうちの200ほどを掲載させてもらった。
・本当に小さく小さくして載せているので、探してもらわないと分かりにくいと思うが、いろいろなところでこの話をすると、必ず誰か一人か二人は、うちのが 写っていると言われる。育成会はあまりお金がないので、全ページカラーというのは過去にはなかったのだが、この9月号は全部カラーにした。
・表紙をめくると「大丈夫、手をつなごう」のメッセージを送ったのである。この9月号に写真と同時にメッセージをたくさん送ってもらったので、その一部を紹介したいと思う。
・「障害があってもこんなに明るく生きているのだということを多くのみなさんに気づいてもらいたい、知ってもらいたい」「障害のある人は、仲間と家族と前 むき、こんなに明るく生きている人たちである。障害のある人に興味がなかった人たちにも知ってもらいたい」「この人たちが有無を言わさず、いなくても良い 存在ですか ?」ということを言いたいのである。
・「笑顔で私たちの幸せの姿を見てもらえるのだと思い、応募した」「先生から20歳までは生きるのは無理ではないかと言われていた。成人を迎えて着物をきて映ることはこれだけの笑顔が出る。家族みんなが笑顔になれるのだということが伝われば良い」
・私の子供も二十歳までは生きられないと言われたが、今は40歳を超え、元気でいる。これまで元気で育ってくれたことが親としてはこの上ない喜びである。家族にとっても幸せのことである。
・これまでいろいろとあり、これからもいろいろとあると思うが、私たちにとってこの子供が生まれて、私たちは幸せであるとのメッセージももらった。
・それから「できないことを辛いと嘆くより、できたことを喜んでもらっていることが多い気がする。たくさんの優しさを知ることができ、私たちは幸せです」というのもいただいた。
・「私の子供も重度の重複障害者である。おまけに難病がある。でも私は日本一幸せな子供にしたいと思い、育ててきた。辛い時もあったが我が子の笑顔に支えられてきた」とのメッセージもあった。
・最後に支援者からいただいたものである。「事件は、私たち支援者の信頼をも傷つけたと思う。しかし、私たちは利用してくれている方の最高の笑顔を見ようと日々実践している。今後もその決意に変わりはありません。」
・本当に、この事件は障害のある人も家族も、支援してくださっている職員の方、学校の先生方、関わっているみなさんも心を深く深く傷つけた事件であったと思う。
・私は、この社会に住む一人ひとりがその生を喜び、生まれてきた生きがいを感じることができなければ成熟した社会とは言えないと思っている。
・そして、成熟した社会というのは、精神的な福祉面の増大に支えられていなければ、そのように値するものではないとも思う。
・障害のある人もない人もみんな幸せでなければならないという、心からの優しさ。それをみんなが持たないと成熟した社会にはならないと思う。
・与党の先生方からヒアリングがあった。その時にしまったなと思ったのだが、この事件について要望や考えについてのヒアリングが済んだ後、少し時間があるのでと言われ、どなたも発言がなかったので、私がこのことを言ってしまったのである。
・今、日本は成熟した社会とは言えないと言ったのである。与党の先生がたは現在国を動しておられる方々であるので、ちょっと難しい顔をされた。でも私としては本心であった。
・こんな事件が起こるということは、まだまだ日本は成熟していないなと感じている。
・成熟した社会というのは、障害のある人もない人もみんな幸せでなくてはならないねと言われるものを培っていかねばならないと思っている。
・人は人を理解し、多様性を認めるという深い意味を探求する必要があると思っている。
・人が人を100%理解するということは難しい。無理だと思う。
・であるから、障害のある人たちのことを、障害者に全く関係ない方々にどれだけ理解していただこうというのはなかなか難しいことがたくさんあると思う。
・だけれども、障害のある方が傍に居ても良いよと思ってくれるぐらいはあっても良いと思う。あれこれしてということは求めない。
・一緒に暮らしていてOKなのだというようには思っていただきたいなと思う。
・もう一つ、家族から言えば、家族は心の中にもやもやとしたものを持っている。それというのは、障害者の居ない家族には分かってもらえないと思う。
・そこは難しいことだが、そこを分かってもらおうとは思っていない。ただ、障害のある家族を認めてほしいという気持ちを理解してほしい。
・それから、自らの功利主義と差別感との戦い、「自分自身との対立にまで人を立ち向かわせる」というのは、事業所や学校に行き、他の障害児や障害者を見た とき、あの子より我が子の方が少しはマシだと思ったことがあるだろう。私もある。これは障害のある人の優劣をつけていることである。当たり前に認めてほし いと言っている親でも気づかないうちに優劣をつけている。
・もっと言えば、親だからといって我が子に虐待のようなことはしていないだろうか。差別的な言葉を我が子に言ったことはないだろうかということである。
・親でもそういう意識を持っている。そういう自分自身がそういう意識があるのだということを確認してさらに襟を正すということを親がしなくてはならないと思っている。
・そこに自分自身の差別感と戦うということをしなくてはならないと思っている。
・この事件を通して思うのは、障害者が別の存在だと思う国民のみなさんがいっぱいいるのだと思ったことと、親自身もこの事件をもう一度振り返りながら襟を正す、そして自分自身がどうなのかということを問いながら活動していくことも必要ではないかということを感じた。
・そして、この事件は悲しい、腹が立つ事件ではあるが、これのマイナスをブラスに変えなければならない。前向きに私たちは進まなければならない。
・この事件があったから、私たち家族はもう少し遠慮して生活しようというのではない。この事件があったからこそ、ここに止まるのでなく、もっと前に出ない と、もう一歩も二歩も出て本人の理解を進め、本人が生きやすい社会にするためには活動を進めなくてはならない。みんなで進めていこうということである。
・差別解消法の県条例が各地でできている。次々と条例ができるが、これに魂を入れなくてはならない。
・差別解消法というのは、的確な言い方ではないかもしれないが、がらんどうの骨組みができただけである。これを具体的にどういう風にしていくか、各県の条 例で部屋を仕切ってここには洋間、ここには和室と、条例で決めていくのである。しかも生きたものにしなくてはならない。そのためには私たちが働きかけて生 きたものしていく活動が必要なのである。
・差別解消法でこれが差別だ、あれが差別だと言いつのれは逆差別だと言われそうである。諸刃の剣である。そこを注意しながら、丁寧にみなさんの理解を求め ながら、具体的に条例でそれぞれの地域の環境や文化にあったものにしていきましょう、そしてそこに私たちの魂を込めて生きましょうということをしていく必 要があるのではないかと思っている。
・支援を必要とする人を中心に楽しい行事を、障害者だけでなく、周りの方を巻き込みながら催していくという必要がある。そして、楽しいこと安心できるところには必ず人が集まってくる。それが障害者理解にもつながってくると思う。
・「できないところを見るのではなく」と書かせてもらっているが、これは障害があるからできないのではなく、誰でも得意不得意があるので、私自身このよう な場で話すことは不得意なのだが、会長になればこのような場で話さなくてはならないと言われ、一番嫌だなと思ったが、自分なりの話の仕方であればできるな と思い、お母ちゃん目線の自分なりの話で、私の理解していることでの説明であれば話ができるなと思っていろんなところで話をさせてもらっている。
・ようはできないということを見るのではなくて、自分はこれだったらできる、こういう力だったらまだあるよというところを生かす、ということは、障害のある人も同じなのである。
・障害があるから、こんなことはできないというようにみるのではなくて、彼はこれが得意だからこんなことはできるのではないのという見方、ポジティプに捉えるということが、できることがたくさん見つかることにつながる。
・否定的な見方を肯定的に変えるということが必要ではないかと思っている。
・「自分の価値観の感じ方チェック」というのがある。「人よりできないより、できた方がいいか?」「欠点はあってもいけない?」(直さなければならない)「平均的であることは大事だと思う?」「生きていく」ってどういうこと?一人で生きていくのか、皆んと?
・どちらが、おなたは良いですかと問うもの。これで自分はどういう価値観を持っているかということが少しはチェックができると思っている。
・障害のある人を通して周囲の人が学んだことを一つ一つかけがえのない命を持った存在であり、この子の命が本当に大切なことなのだということを、親も周囲の人たちも改めて学ぶわけである。
・人間という抽象的な概念ではなく、この子という生きて生命、個性のあるこの子の生きている姿の中に、共感と共鳴を感じる。支援していただいている方々もそうであると思う。
・障害者というのではなく、この子この人というので、障害がありながら生きている姿に共感していただいているからこそ、学校の先生も施設の職員の方々も続けて支援していただいているのだと思っている。
・ただ、ただ生きているのではなく生き抜こうという必死の努力を持って自分なりの精一杯生きている自己実現をして生活している人だということを周りの人たちも家族も気づかされてきた。
・人間は、人と人の間と書くが、社会的な存在であることを意味してわけである。人間関係を保っていることが人間の存在の理由である。
・学校の先生であっても施設の職員であっても人間と人間との良い人間関係の中で本人は発達していく。本人は、障害がありながらも障害を克服してできることが増えていく。生きるということは社会的存在として生きていくことである。それはどんなに障害の重い方でも同じである。
・糸賀一雄先生が「この子らを世の光に」と言う言葉を残しておられるが、「どんなに重い障害があっても誰と取り替えることのできない個性的に自己実現をし ているものなのである。人間に生まれてその人となり人間となっていくのである。その自己実現こそが創造であり、生産である。私たちの願いは、重症な障がい のある子供達も、立派な生産者であるということを認めあえる社会をつくろうということである。」と障害者施設の父である糸賀一雄先生が言われている。
・これをもう少し考えてみると、私なりに考えてみて、「自己実現という生産活動をしている」「生きているそのものが生産活動だ」ということを糸賀一雄先生が言われている。
・もう一つ、私は生産活動をしていると思う。重度の障害のある人が生活していることで親とか支援者とか、社会が気づかされることがある。そしてそれが障害福祉、日本の福祉の思想の変革までも生産している。
・ややこしいことを言うが、いろんなところで意思決定支援をしましょうと言うことが言われている。
・意思決定支援はどうすれば良いのか。まだこのことについて、日本は入り口に立ったばっかりで、どうすれば良いかという支援の方法がまだなのである。
・育成会が関わりながら、意思決定支援のガイドラインというのを国が出している。そのガイドラインには、こんなことあんなことをすれば良いということは書かれている。でも一人一人違うわけであるから、その通りにはならない。
・であるから、ガイドラインを参考にしてもらいながら、私たち親が、周りの学校や支援者がこうしたら本人に分かるかな、こうしたら本人がこうしたら良いと 選べるかなといろいろと試行錯誤しながらやっているわけである。いろいろしてみて本人から答えが返ってくる。もし何も答えが返ってこないというのであれば こちらがやっていることが伝わっていないということになる。Aが良いかBが良いかを選んでもらうにはどう本人に伝えれば良いのか、あの手この手で試行錯誤 していく、その上で本人からAで良いと答えが返ってきたら、その時この人にはこのような方法が良いのだということが、本人を通して家族も周りの人も学ぶこ とできるのである。
・であるから、重度の人であってもその人を通してこれまでの障害者福祉を進めてきてくれたのであるのだと思っている。障害者福祉の思想を変革してきた人たちだと思っている。
・理解を中核とした社会形成の理念を目指すためには、教育が一番大事であると思っている。
・学校教育の中で、子供達に心のパリアフリー、多様性を認めるということを教えてもらいたい。
・今も学校の中で障害者理解の教育は進めている。まだまだこれまでのものでは足りないと思う。本当に教科の一つにしてもらいたいくらいと思う。
・国民の中で多様性を認めるのだということが根付かせていくためには、小さい子供達の時からしっかり叩き込んでおくが必要であろうと思っている。
・そういう意味では、教育を含む心のバリアフリーの推進を進めていくことが必要であると思っている。
・文科省のことで一つお知らせしたいのだが、現在、通級の先生を財務省が減らそうとしていて、育成会で各県育成会から各県選出の国会議員さんへ陳情してもらった。
・目の前の課題に一生懸命活動してきたが、私自身若い人に先輩の親たちから助言や支援をえてきた。これから我々は若い親たちのために一本の藁になって活動しようと思っている。
・藁を縄にして多くの親たちを支援しようと思っているので、これからも育成会活動に頑張っていきましょうと呼びかけられて、12時25分に講演を終えた。

昼食休憩に入り、13時から、三分科会に分かれて午後の協議が行われた。

第一分科会
第二分科会
第三分科会

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