第二分科会「就労支援」
第二分科会「就労支援」
一般就労に向けての支援
福祉的就労支援
在宅での就労支援
コーディネーター
全国育成会事業所協議会運営委員(近畿) 白杉滋朗
提案者
NPO太陽と緑の会(徳島県) 代表理事 杉浦 良
社会福祉法人岩手県手をつなぐ育成会 さわら園園長 石川明博
進 行
全国育成会事業所協議会運営委員(四国) 岡部國男
進行役の全国育成会事業所協議会運営委員である岡部國男さんが、開会を宣し、コーディネーター並びに提案者を紹介し、コーディネーターの白杉滋朗さんに引き継ぐ。
コーディネーターの白杉さんから、副テーマの説明があり、小規模作業所を育成会が作って運営してきたが、この就労の場は、単に工賃を得るためのものでなく、 地域社会の社会参加の場ともなるものであることを根底に起き、我々がそれを推し進める運動員であるという意識で貢献することが大事ではないかと訴え、お二 人の提案者の紹介を行い、提案者へ引き継ぐ。
主題「人も物も活かされる街作りをコンセプトに32年 太陽と緑の会の実践活動」 要項掲載資料
提案者 NPO太陽と緑の会(徳島県) 代表理事 杉浦 良
・徳島市からやってきました。
・テーマに書いてあるが、32年前に無認可で資金もない中で設立した。人も物も活かされるというテーマで活動してきた。
・人とはいろいろなハンディを持った人ということである。一般就労のできない、入所か入院しかできない人が地域の中で働くことができないか、物というのはリユースの活動をしているので、物を生かすことはできないか、ということで活動している。
・社会貢献として、障害者の支援、連携支援、環境保全と社会教育の四つの部面があると考えている。
・太陽と緑の会の日中活動の場としては、地域活動支援センター3型として公的助成470万円と機能強化事業150万円、地域共同作業所として公的助成の350万円、そして公的助成ゼロの「月の宮共同生活棟」の運営を行っている。
・28人の利用者(66歳から20歳)が活動している。
・地域活動支援センターには、リサイクル作業を行っており、昭和59年に開所し、3障害19人が利用している。
・環境保全としては、年間1万件、500トンを回収し、そのうち5分の4はリユースリサイクルにつなげている。
・リユース・リサイクルの流れとして、一般市民から不用品を持ち込んでもらい、選別、分別し、一般市民の人に販売すると、資源ごみの分別し、それぞれ業者へ引き渡す。これを利用者とスタッフが流れに沿って作業しているということである。
・スフッフと一緒に回収に行く際に、機関紙を持参して置いて帰っている。これは利用者が直接市民に関わってもらう。
・当時は、内職産業が中心であったものをできるだけ第三次産業であるサービス産業に携わらせて顔の見える活動をと考えたからである。
・3障害の利用者がいろいろな場面を担当して関わってもらっている。クリーニング、包装、値札付け、陳列、電話応対などなど。
・電話担当者に言語障害の利用者がおり、電話をかけてきた客からもっと話ができる者に担当させるべきではないかと言われるが、実はそういう障害者が仕事をしていることを話して理解してもらっている。
・会計もメンバーが行っている。右手が不自由な人もおられてきちんと収納ができてなくて、叱られることもあり、謝り理解を求めている。
・精神障害の人も障害のあることを嫌がっているが、4,5年すると近所の人たちも理解してもらっていることがわかり、そうした先輩を見てだんだんと思い切って活動するようになる。
・月の宮作業所では、養豚をしていたが、今は自転車のリサイクル、野菜作りなどを行っている。自転車のバザーも行っている。
・社会教育の側面として、小中校生から大学生、一般までの研修の場として受け入れや災害地への支援、海外の国際協力にも関わっている。
・海外からリサイクルの実態を見学にやってくる。
・公的助成が15.5%、リユースによる収益が82.3%ということで、一般市民のみなさんや行政の理解と協力をもらって運営ができている。
・コンセプトの一番大きいことだが、利用者の時給は、一番低い人が100円、一番高い人が徳島県の最低賃金の695円ということで幅が広い。
・スタッフとしては専任が5名と契約スタッフが7名、それにボランティアの支援を受けてやっている。
・一番我々が自慢にしているのは、我々の事業のすべてを総合支援法に乗せると5千万円ぐらいになるが、現在は1000万円ほどであるが、いろいろの活動をお金に換算してみると7600万円ほどになるのではないかと自負している。
・我々の活動は、次世代型ソーシャルアクションモデルになるのではないかと思っている。
・地域の中で、年間6万人の市民がやってきてくれている。一般市民のみなさんに見てもらってしっかり働いていることを理解してくれる。それが一番嬉しく思っている。
白杉さんから、コンパクトにまとめて発表いただきましたと時給695円と言われたが、時給が上がりましたが、どうかと尋ねると杉浦さんから上がった716円で対応しているとのこと。続いて岩手県の石川さんから提案に引き継ぐ。
主題「在宅での就労移行支援について」
提案者 社会福祉法人岩手県手をつなぐ育成会 さわら園園長 石川明博 要項掲載資料
・今日は、在宅の障害者の就労支援について、発表したいと思う。
・今年から、事業所協議会の東北地区運営委員になり、また、全国の事務局も担当している。
・昭和63年に無認可の作業所として発足し、650万円ほどで18名の利用者と活動していたのが、平成10年9月に社会福祉法人として認可を受け、現在に至っている。
・その後、平成11年に定員30名の授産施設、そしてその後グループホーム、A型、B型に就労移行事業所などを開設してきた。
・最後に、平成28年10月には、手をつなぐ安心生活支援センターを開設する予定である。
・事業概要の説明。就労B型事業所として定員47名のあすなろ園事業所とスーパーを改造した定員22名のあすなろ飯岡事業所、これには定員7名の生活介護事業も併設。それから就労A型定員10名と就労移行定員10名のあすなろ羽場事業所を平成22年に開設。
・作業としては、食品加工、調理、菓子作り、店頭販売など。農協の産直にも参画、手打ちうどんの販売。
・福祉避難所と兼用の施設、相談支援事業所、生活支援事業所を開設し、本年に手をつなぐ安心生活支援センターを診療所跡に整備している。
・この施設には、ショートステイとグループホームの生活ホーム、就労移行と自立訓練を行う就職支援センター、相談支援センターが併設されている。
・就労移行支援、A型、B型などの規定の中に留意事項として、施設外支援のことが示されている。職員の同行により認められていた。その中に㈢というのがあって、在宅就労支援というものがあり、A型B型が困難で市町村が認めた場合は認められることになっていた。。
・身体障害者の場合、居宅の方で内職の仕事をさせていたので、このことができないか、市と協議したことがある。
・在宅就労支援する場合には、資料の通り、六項目の留意事項を遵守する必要がある。1日二回の連絡、助言とか、在宅で出来る作業内容、緊急時の対応、訪問評価と記録、月に一回は事業所へ通所し達成評価を。
・就労移行での在宅支援が平成27年度から利用可能になった。
・具体的な取り組みとして、得意と苦手の確認、移動可能な範囲や環境を逆算して企業を検討、求められている実感が継続して得られるように支援するなど。
・管理としては、週一回の方も、月一回のサービス管理者との面談、鬼門店の即時対応など。
・実際の事例としては、アスペルガーの28歳の男性で中学校で不登校になり10年以上引きこもっていた。家族から相談支援専門員が相談を受け、あちらこちらの事業所を見学したが、本人の動機に繋がらない。
・そこで、在宅で、リサイクルスーツのネーム取りやパソコンで在庫チェック、名簿作成、宛名シール貼り、郵便発送などを。
・この在宅就労によりどのような訓練内容があるかということで、障害特性の理解、就労上の生活のリズムの確立、通勤訓練、多様な働き方やいろいろな職業の理解など。
・具体的な取り組み内容として、自宅で棚卸しデータのチェック、毎日の作業開始と終了の報告、平均2時間から4時間程度の作業量、終了時に作業日報をメールで報告、月一回事業所への来所など
・管理体制としては、週一回の担当者の訪問、月一回のサービス管理責任者との面談、疑問点の即時対応など。
・本人の気持ちとして「もっとお金が欲しい」「自分にできることがあるか、考えただけでも不安」など、家族の変化、モニタリングを通して、本人が就労移行支援の在宅支援を利用することを決断した。
・その他、在宅就労支援を通して、自宅近くの事業所見学、実習を行い、就労につなげた事例もある。
・食器洗いの体験実習を通して、居酒屋のセッティングや食器洗浄、後片付けなどを時給700円で週に2~3日仕事ができるようになったものも。
・課題として、市町村、医療機関と相談、連携を図ること、地域課題を共有することが大切。自宅から出られない方に対する就労の工夫。
白杉さんから、うどんの手打ちというが、利用者ができるのかと質問に対して、十分にできる。二人おり、職員の指導によってできるようになっている。以前盛岡に行って食べたことがあり、美味しかったのを覚えている。
Q アスベルガーの人が事業所を利用できるのか。
A 医師から診断があれば可能。
Q 盛岡市では支給決定してもらえるが、他の市町村ではダメということもあるのではないか。
A そこのところは、わからない。大きな市の場合は理解があり、療育手帳がなくても医師の診断があれば、認めてもらえている。
Q 手帳がなくて、障害者雇用にはなるのだろうか。
A 20時間働いていないので、雇用保険の対象とはならないが、20時間を超えるようになれば、障害者雇用の対象となると思っている。
一週20時間は何を意味するか、皆さんは理解されているだろうか。このことは、一般就労させる上で大切なことである。一週20時間以上就労していなけれ ば雇用保険に加入できないということである。退職した時、失業手当も出ない。労働者としての権利が守られないということ。
一週20時間働けるようになっても特定求職者雇用開発助成金の対象にならないかもしれないですね。半年以上継続して働くことができれば、次の半年月に 7~8万円の助成金が出るという制度だ。居酒屋で少しずつ働いてなれるようにしている人が対象にならないのだが、こうした人に対して助成するよう要望する 必要があると思う。
Q 成果として、アスペルガーの人が外に出るということはすごいことだと思うが、自分から外へ出て働くようになったのはどのような支援があったのか。
A 職員が相当突っ込んだ対応の成果。親がケーキ屋さん。高齢化していた。本人は自信がないが、お金は欲しいということから、相談を受け、在宅で仕事ができるようになり、外へ出てもっと働きたいという気持ちになってきたということ。
Q 本人の方に事業所側が近寄って行って、在宅で仕事をしようとなるまでに時間がかかったか。
A 平成25年10月に相談があって、26年の4月に相談がまとまり、7月から仕事を始めた。何回も訪問して相談を行い進めてきた。支援者と本人との信頼関係を作ることに時間をかけ、本人の困り感を少しずつ取り除いて行ったということ。
Q 皆さんは在宅就労支援というものを知っておられただろうか。相談にこられたらどう対応されるだろうか。一支援員としては言いにくいことだろうが。すごく手がかかることだろうから、そんなに構うことは困ると理事長は言わないか。
A 我々の法人は、親の会が作った事業所なので、作業所の時代からできることはなんでもやろうとしていたので。
Q 5000万円を稼いでいる杉浦さんのところを石川さんどう思うか。
A 当初は私も補助金ゼロのところにいたので、杉浦さんのお気持ちはよくわかる。私も450万円で12名の利用者の面倒を見たことがある。岩手県の方にも似た ようなリサイクルの事業所があるし、大事だと思う。我々のように総合支援法の補助金をかっちりもらっているが、事業で入ってこない収入、利益のない 社会福祉事業でないものに対しても社福法人としては全体の利益の中で工面して取り組んでいる。
Q 杉浦さん、少ないと言っても1000万円とっているのではないか、5000万とって4000万円の部分は当事者に還元していくというような考えれば、太陽と緑の会はしっかり地域に根ざしていけるのではないかと思うが、どうか。
A 私が一番に太陽の緑の会が地域で根ざしたものになるようにというイメージを持った時に第二次産業の下請けはしないとか、なるべく公的資金はいただかないと いうことと、できれば地域を巻き込んでいく運動ができないかというのが軸だった。なんで公的資金をいただかないのかというと、障害者の支援をする上で、公 的資金を受けることは当たり前と思っているが、本当に当たり前かというと32年前には当たり前ではなかった。自分たちの事業がどんどん広がって利用者が力 をつけていくことはとても大事なことだが、社会から離れてしまったら切られてしまうと思う。私が学生の頃、京都の白川学園にボランティアに行った時、重度 の子供達が十畳の部屋に押し込まれていた。すごい大変なことであった。働いていたスタッフは三畳の1間で生活している。こんなところがあるのかというのが、原 体験である。今は、改善され、個室となり、それが当たり前になってきている。そのように完備されてくると人間というのは、障害のある人であることから、恵 まれた暮らしができるが、非正規雇用でぎりぎりの生活をしている人にとってみれば割り切れないものがあるのでは。できるだけ、メンバーとスタッフとボラン ティア、そして地域の人々の協力を得て自分たちの力ですることがグループダイナミクスであるし、ソーシャルワーカーではないかとずっと前から思っていた。 また、身体障害、知的障害、精神障害と分断され、総合支援法になり制度化されたが、それぞれで良いのか、もっと自由な発想でできないか、サービス管理責任 者、相談支援専門員などを置くことによって地域や一般市民の人を巻き込んでということができにくくなってきてはいないかと思う。もし、市民や地域の人を巻き 込んでいないと財政が破綻してしまうとやっていけなくなるのではないか。そういうことをどこかでいつも思っている。どんどん障害者の範囲が広がってきて支 援制度も大きくなっているが、いずれ限界が来るであろう。これまでのように一般市民の人たちを巻き込んでの活動をしておれば、相模原のような事件も防げる のではないかとも思っている。
白杉 杉浦さんのお話の中に支援という言葉がなかった。太陽と緑の会では、障害者も支援者も一人の働く一員としてなんらかの役割を持っている。その中で市 民と関わる中で、障害者本人も一人の市民として認められるのだとわかった。相模原の犯人が「障害者は役に立たない」という発想は極端過ぎて誰も理解ができ ないと思うが、しかし、支援者として障害のある人を「支援してあげる」という関係を頭の中に置いているとそこに段差というものを持っていないだろうか。そ れが深まり心がねじれたのではないかと思う。ナチスがユダヤ虐殺したことに対してドイツ国民が反対しなかったということとつながることではないか。太陽と 緑の会には六万、七万人のお客さんがこられるという地域経済の歯車の中に組み入れられているのではないかと思った。
Q 石川さん社会福祉法人の立場で、公益の事業もしなくてはならない任務があるのだというのも、杉浦さんの地域を巻き込んでというものにつながるのではないかと思うが如何か。
A そのように思う。これから給付費がもし下がった時のことを考えれば、今杉浦さんがされていることを参考にさせてもらわなければと思う。給付だけをあてにし た運営は危険なところがあると思っている。後、社会福祉法人の就労移行につなげる相談や計画相談が順調に進んでいるが、手帳のない人、大学を出ても仕事が ない人などいわゆる就職困難者への相談を受けてハローワークに繋げる社会事業をしようとしている。
Q 岩手県手をつなぐ育成会が知的障害者でない人の相談事業をするということを認めてくれるのか。
A さわら園は、岩手県手をつなぐ育成会とは別の社会福祉法人となっているので、そちらの理事会で承認してもらっている。
白杉 今、社会福祉法人改革が進んでおり、地域社会への貢献が求められている。さわら園でも太陽と緑の会にしても10年前には、450万か350万円も らって十何人の利用者と作業所を運営されていた。九州の方で年間200万円で、東京が2000万円と補助金に開きがあった。この差があったのは、この作業 所の制度が地方の制度であったからだ。育成会が一生懸命運動して全国を平準化することになって10人いたら、1100万円補助金を出す小規模通所授産とい う制度ができた。それが15.6年前、その後、支援費、自立支援法が整い、今は、加算がなくても休まずに来たら一人12,3万円のお金になる制度になった ので ある。作業所時代では1000万円であったものが総合支援法になる5000万円になるというのが、この10年ほどでなった。その差額の4000万円は何な のだというと、そこにきている20人か30人の面倒を見ているだけではダメだよと言われているのではないかと思う。きっと県民市民はさわら園に何億円とい うお金が出ていることは知らないだろうと思う。そんなにお金が出ているのかと、知ると杉浦さんのされている太陽と緑の会のように地域を巻き込んで、地域に なくてはならない存在になった時、それで良いのではないかと認めてもらえるのではないかと思う。
Q 太陽と緑の会が、店を閉めたら、市民の人たちが困るのではないか。
A 2005年の2月27日に二階建て延べ140坪の建物が火災にあった。入り口付近から出火し放火ではないかと言われてが、不審火として片付けられた。その 時、市民の人たちが復活大作戦ということで2000万円拠出してもらい、火災保険の2000万円と合わせて4000万円で復興ができた。閉めている一年 間、低所得者層の市民の人たちが、安くものが買えなくて困ったと言われた。そのような声が僕らのメンバーにとって身に感じて一生懸命になっているのではな いかと思っている。
やはり、そのようになっていると、多少いろんな問題があっても地域の中では受け入れてくれるのではないかと感じた。年に一回お祭りをして市民と交流するだ けではこういう関係にはならないと思う。日頃、障害のあるメンバーが、新しい服が入ったとか、こんな自転車、こんな家具があるよと声かけし、やり取りする 中でいろいろ経験、社会体験になっている。こうした環境を保証することによって利用者の社会性を養うことになっているのではないかと思っている。我々の専 門職員が関わって力がつくのかとは思っていない。障害児の療育での専門性はわかるが、ずっと40年間見てきて、成人になれば地域を巻き込んで生きやすい環 境を作ることに専門性があるのではないかと。先ほど述べたソーシャルアクションとかグループダイナミクスなど、イギリスで提唱された手法が有効ではないか と思っている。
Q 杉浦さんについては、先ほどの発言でまとめさせてもらい、最後に、石川さんの方から、社会福祉法人としての使命というものをまとめていただきたい。
A 手をつなぐ育成会の作業所として出発した社会福祉法人としては、親の困りごと、本人の困りごとに対してどうするかということ。制度に乗せることができれば乗せていく。制度に乗らないものもなんらかの対応をしていくというのが使命だと思い、やっていきたい。
白杉 育成会の原点というかテーゼである糸賀一雄氏の「この子らに世の光を」でなく「この子らを世の光に」と言葉のように、障害者への支援ということでなく、障 害者の活動で地域を変えていく力にするという内容を、お二人の方から提案されたと思っている。本日参加されたみなさんにとって参考になったと思うので、明 日からともに頑張りましょうと声かけ、分科会を終了。